〈昭和27年〉
初代・長谷川長六、鋳物屋「高陽堂」より独立。鉄瓶、茶釜作りに従事するも、工房を構える思い半ばにして昭和39年永眠。
〈昭和39年〉
二代目・長谷川文雄、山形市銅町にて独立。鋳造所名を初代「長六」と自身の「文雄」から一文字づつを取り「長文堂」設立。
以後、作家名を「長文」とし活動を続ける。
〈昭和49年〉
現在の山形鋳物工業協同組合団地(鋳物町)に工房を移転。
〈昭和50年〉
国の第一次伝統的工芸品の指定を受ける。
〈昭和55年〉
砂鉄のルツボ溶解法に成功し、純度の高い砂鉄釜の製作に着手。
〈平成6年〉
二代目「長文」・長谷川文雄、伝統工芸士に認定。山形市伝統的工芸産業技術功労褒賞受賞。
〈平成10年〉
三代目・長谷川光昭、3年間「菊地保寿堂」にて修行後、家業に就く。
〈平成28年〉
三代目・長谷川光昭、伝統工芸士に認定。